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2014.07.31
水力発電の『黒部ダム』
ちょっと途中下車 205駅目

 

 第二次世界大戦後、荒廃した日本の本格的な復興が検討された。経済復興の本格化に伴って発生したのが、深刻な電力不足であった。今、東日本大震災の影響で福島原発事故が誘発され、結果的に電力不足を経験している。東日本の復興が急がれている今、同じような環境の中にあって、一つの大事業を展開した話題をここに紹介しよう。
戦後の復興に対して、関西地方は長期の電力使用制限をもたらし、大きな社会問題となっていた。課題は、さらに高まるエネルギー需要にどう応えていくかであった。
ここで立ち上がって推進したのが関西電力であり、黒部渓谷における『水力発電』であった。
 日本一大きく深い谷ともいわれる黒部渓谷が選ばれたのは、黒部川が豊かな水量と大きな落差があったからである。特に、平均勾配40分の1という他の河川にはない角度で一気に流れる急流の黒部川は、まさに水力発電に適した川でもあった。黒部川とは標高2,924mの鷲羽岳を源流とした、日本海の河口までの長さ86kmの川である。
黒部渓谷は日本一深いV字峡ともいわれる。北アルプスの立山連峰と白馬岳、鹿島槍ヶ岳を連ねる後立山連峰との間に深く刻み込まれた大渓谷である。ここは古くから水力発電の適地とされながらも、峻険な地形と冬の豪雪などで人を拒絶する厳しい自然環境によってダム建設が阻まれていたのである。
 このような場所に果敢にもダム建設に挑むことになった。そして1956年に、『世紀の大事業』ともいわれた通称黒四(黒部第四発電所)の建設プロジェクトが始動したのである。世紀の大事業として語り継がれるのは、その工事が難工事であった上に、7年の歳月と当時の金額にして513億円の工費、そして延べ1,000万人もの人手によって、困難を乗り切って果たした事業であったためである。1963年6月に『黒四ダム』はついに完成したが、これは関西電力が社運をかけた大プロジェクトであり、投資金額も予想を上回るものとなった。
まず、黒部ダムを建設するには道路の確保が必要であった。そのために、大町トンネル(現在の関電トンネル)の工事がもっとも急がれた。1956年10月に同トンネルの本坑掘削が始まり、激冬中も工事が続けられ順調に工事が進んでいた。
 しかし、翌年の1957年5月になってから、入口から1,691mの地点で毎秒660リットルの地下水と土砂が噴出する『破砕帯』にぶつかってしまった。地下水を溜め込んだ軟弱な地層の80mを突破するためには、1957年12月まで待たねばならなかった。それほど困難を極めた難工事であったのである。
この難工事は、石原裕次郎主演の映画『黒部の太陽』(1968年、製作・三船プロ、監督・熊井啓)でも描かれ、多くの方がその映画を鑑賞して感動したのではないかと思う。
 わずか80mの破砕帯ながら、その突破は困難を極め、水抜きトンネルを別に堀り、薬剤とコンクリートで固めながら進めていったという。そして関電トンネルは、1958年2月にやっと貫通し、1959年にはダム完成計画図ができ、1959年9月からダム本体コンクリート打設作業を開始し、1962年頃にはダムの全容を見せるようになった。
その後、1963年6月に竣工式を実施し、完成したのである。難工事を克服しての、実に7年におよぶ世紀の大事業であった。
完成した黒四ダムは標高1,470mに位置し、アーチ式ドーム越流型で高さ186m、堰長492m、堤頂幅 8.1m。総貯水量は約2億m3で、日本最大の規模を誇る。
 黒四はダム水路式発電所で、黒部ダムで貯めた水を導水路から水圧鉄管で10km下流にある発電所に送って4基の発電機で発電している。
有効落差は545mにもなり、年間、約10億kWhの総発電量となる。これは富山県全体の4分の3の家で使用される電気量と同じぐらいの規模になる。
また、黒四ダムの迫力のある行事が、6月26日?10月15日まで実施される。『観光放水』といわれるもので、毎秒10トンもの水が、高さ110mから霧状になって観光客のために放流されるのである。黒部川を堰き止めてできた黒部湖は最高標位1,448mになる日本一高所にある湖となる。
黒部ダムは黒部立山アルペンルートでも知られるルートにあり、標高1,433mの扇沢駅から関電トンネルトロリーバス(通称 トロバス)で黒部ダムに到着する。
 黒部ダムを見学後、立山ロープウエイを乗り継いで大観峰(標高2,316m)に行けば、そこは標高2,300mを超える3.7kmの立山トンネルとなる。
 このトンネルをトロリーバスで10分行くと、標高2,450mの室堂に到着する。関電トンネルと立山トンネルで運行されているトロリーバスは、日本唯一の、電気で走るバスとなっている。排出ガスがなく、自然に優しい乗り物となっている。今や環境配慮の時代となり、電気自動車などに脚光を浴びて普及が進展しつつあるが、非常に早い時期にこのように電気で走るバスを運用したという点で、先見性があったものと見られる。
室堂では、標高3,015mの立山を望むことができ、そして高原バスで天狗平(標高 2,300m)、弥陀ヶ原(標高1,930m)、美女平(標高977m)など経て、立山ケーブルカーで立山駅に到着となる。
長野県の信濃大町駅から入って、上記のルートを経て富山県の立山駅までは素晴らしい黒部立山アルペンルートである。標高2,000m級の中部山岳国立公園の山岳地帯を、登山経験がなくてもアルペンの大パノラマを満喫することができる点では、家族連れで楽しめる観光名所でもある。
そして下山して、温泉場で有名な宇奈月からトロッコ電車に乗れば、大小41のトンネルと21の鉄橋を渡る黒部渓谷が楽しめるのである。
 宇奈月温泉駅に戻ると、温泉旅館にチェックインする前に、宇奈月温泉駅から徒歩3分の所に『黒部川電気記念館』があり、
1. 電源開発の歴史
2. 黒部渓谷の自然の姿
3. 黒部ダム
などが紹介されている。ここで、温泉を楽しむ前に、しばし一連のアルペンルートの旅を思い出しながら、電源開発の歴史と黒部ダムに関する知識を得るもの良いかもしれない。

 

 

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