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2014.08.12
軍用道路であった『乗鞍スカイライン』
ちょっと途中下車 206駅目

 第2次世界大戦の直接のきっかけはヒトラーの独軍が1939年9月1日、ポーランドに侵攻を開始したのがきっかけである。そして9月3日にはドイツのUボートがイギリスの定期客船を魚雷攻撃したため、ポーランドの同盟国であるイギリスとフランスがドイツに宣戦布告して第二次世界大戦の火蓋が切られたのである。
 当初は中立だったイタリアは、ナチスのフランス占領から欲を出して参戦し、ドイツ・イタリアによる枢軸国が形成される。
一方、日本は、ヨーロッパとは関係なく中国で1931年から戦争していたが、石油禁輸処置をとっていたアメリカへの戦線拡大を決意して、1941年に真珠湾攻撃を実施し、名実共に『世界大戦』となったが、第2次世界大戦のきっかけは、あくまでもドイツのポーランド侵攻が発端である。
 第2次世界大戦で日本が苦戦を強いられたのが、B-29戦略爆撃機による日本本土の絨毯爆撃である。B29は14.7万トンに上る爆弾を日本国内に投下したともいわれる。
 このB29は、1944年6月から中国内陸部の成都基地より出撃し、九州、満州国、東南アジア方面に爆撃を行った。そして1944年11月以降は、マリアナ諸島のサイパン島、テニアン島およびグアム島から日本本土のほぼ全域に対して爆撃を行ったのである。
 爆撃の対象は当初、軍施設や軍需工場に限定したもので、約1万mの高高度からの精密レーダー照準による爆撃であった。しかし気流の影響により目標からはずれることも多かったともいわれる。
 日本軍はこのB29に対抗することが迫られた。B29のような高高度を飛べる戦闘機の開発が急務となった。
 ……と、ここで話題を変えて『乗鞍スカイライン』について紹介しよう。
 標高1,684mの平湯峠を起点にしてヘアピンカーブの続く山岳道路を針葉樹林を見ながら登っていくと、途中で、天気がよければ『槍ヶ岳』や『穂高』などの連峰をみることもできる、素晴らしい山岳道路が楽しめる。秋になれば、ナナカマド、紅葉などの紅葉を楽しむことができるのである。そして50分もすると乗鞍岳の中腹に広がる平地に到着し、ここは標高2,702mに位置し、畳みを敷けることから名付けられた『畳平』に到着する。この畳平から乗鞍岳(標高 3,026m 剣ヶ峰)には、約300mの高さ分を歩けば頂上に行けるという比較的楽に登ることができる、高所にある登山口がある。
 平湯から畳平まで全長14.4kmの山岳道路が『乗鞍スカイライン』である。開通当時は当時のバスで3時間も要したともいわれる。
この乗鞍スカイラインは、日本の最高所に位置する道路である。こんな場所に山岳道路をよくも作ったものだと感心し、その歴史を調べてみると、実はこの山岳道路は観光のために作られたのではないのである。本稿の冒頭に紹介した内容と関係するのである。
実は、戦争中の1939(昭和14)年に陸軍航空本部が航空エンジンの高地実験所の建設を計画し、その建設候補地となって選ばれたのが、この『畳平』であったようだ。
 当時、米国の空軍の大型爆撃機 B29は、1万mという高度を巡行することができたが、日本陸軍はそれに対抗する戦闘機のエンジン開発が急務となっていた。そこで、高地実験計画のために、乗鞍岳の畳平まで突貫で軍用道路建設が行なわれたのである。
この実験施設建設のための軍用道路は、戦後、日本最高所を走る登山自動車道路に1948(昭和23)年に転用されて、県道乗鞍公園線として誕生した。
 この軍用道路は、実は戦後の登山ブームを予感した濃飛乗合自動車株式会社の初代社長、上嶋清一が資金を出して、その幅員をバスが通れる広さである4mへと広げて、登山バスの運行可能な道路を完成させ、乗鞍登山バスが運行されることになった。
そして1949(昭和24)年には、濃飛バスは、天井がガラス張りという画期的なボンネットバス『ロマンスカー』を運行したのである。バスで標高2,700mまで手軽に登れる日本アルプスは大いに注目を集めることになった。
 その後、県道乗鞍公園線を大幅に改良し、1972(昭和47)年に完成した山岳有料道路が『乗鞍スカイライン』として新たに誕生したのである。
 このスカイラインは、はるか雲海のかなたに見える白山(標高 2,702m)と同じ高さである。
夏に畳平の周囲を散歩すれば、高山植物のお花畑を嘆賞することができ、さらに高山湖や雪渓などがあり、素晴らしい北アルプスの展望ができる火口丘もある。
 頂上の剣ヶ峰まで登らなくても自然の豊かさを実感できるのも、人気に一つにもなっている。乗鞍スカイラインや信州側の乗鞍エコーラインを利用するマイカードライブの山として知られるようになった。
こんな魅力に惹かれて、乗鞍エコーラインと共に観光客のマイカーが押し寄せ、シーズン中には駐車場に入りきれない車で大渋滞が起きるなど、環境問題も抱えることなった。観光地として強調され過ぎていた嫌いもあり、環境問題が浮上し、その対策が必要となってきたのである。
2002(平成15)年、有料道路の償還期限が切れた乗鞍スカイラインは、無料化と同時にマイカー乗り入れ規制を実施して、環境対策を実施することなり、乗鞍岳本来の自然に戻ったのである。現在はシャトルバスや観光バス、タクシーなどの運行のみの受け入れに変わっている。
この畳平で折り畳み自転車を組み立てて、麓まで一気に降りて快適なサイクリングが楽しめるサイクリングロードも整備されている。
この北アルプス乗鞍岳は、日本の名だたる峰々のなかで最も容易に3,000m級の山の頂上に立つことができる山でもある。
このあたりが乗鞍岳の魅力となって、多くの老若男女が楽しんでいる山でもある。
 頂上付近へ行く途中では、ハイマツの樹海は、あたかも緑の絨毯を敷き詰めたような錯覚を起こし、はるか下を見渡せば雲海が広がり、雲上の世界を満喫できる場所である。
 こんな場所が高所対応の戦闘機のエンジンの実験施設のために設置された軍用道路とは、夢にも思っていなかった。現地に来て、バスの運転手の案内によって、乗鞍スカイラインのルーツを知ることになった。

 

 

 

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