日本からみるとブラジルは地球の反対側に位置し、日本から米国で乗り換えても約22時間以上の飛行時間となる。遠い国である。
ブラジルといえばまず思い浮かべるのは、
1.リオのカーニバル 2.日系移民
3.さとうきび 4.コーヒー
5.アマゾンの熱帯雨林などではないかと思う。
ブラジルの面積は日本の23倍で、851.2万km2となり、世界5位となっている。この広大な土地に約1.94億人(2010年)の人が住んでいる。広大な面積の国土の6割は標高が200m以上あるが、900m以上を越える高地は3%にすぎない。
農業に使用されている土地はブラジルの全土の約20%に過ぎないという。産業の発展に必要な平地が豊富にあることになる。
森林面積はロシアの次に広く、世界第二の551万Km2(1995年)となっている。アマゾンの熱帯雨林は人類の吸う酸素の約30%を供給しているともいわれる。
このブラジルはポルトガル人が1500年4月に発見し、1822年9月7日に独立するまではポルトガル領であった。
ブラジル発見当時、唯一、紅い染料の取れるのは『バウ・ブラジル』と呼ばれる木であった。ポルトガル人は、土着のインディオにこの木を伐って海岸まで運ばせてポルトガルに持ち帰った。アニリン系の化学染料が出現する以前ヨーロッパの宮廷で、紅いローブなどに使用されたという。
ブラジルは人種のるつぼともいわれ、世界一の多民族国家でもある。ポルトガルをベースにイタリア、スペイン、欧州各国、中近東、アジア(日本、中国、韓国など)などからの移民とその子孫で構成されている。
さらに旧ポルトガル植民地のアフリカのモザンビークやアンゴラからの黒人奴隷の子孫、土着のインディオたちが混じりあった、まさに人種のるつぼとなっている。多民族で構成されることから、ブラジルには人種差別はなく、宗教上の争いも周辺国との地域紛争もないことでも有名である。
また、ブラジルは革命などで血を流したことは一度もなく、パラグアイとの戦争と第二次世界大戦で連合国側に加わって北イタリア戦線に派兵したケースを除き、戦争の経験がないという。流血を好まなぬ伝統は、かつでの宗主国のポルトガル人からきているともいわれる。
ブラジルと日本との関わりといえば、やはりブラジル移民である。日本と国交が始まったのが1895年11月、パリで修好通商航海条約に両国で調印している。
日本からブラジルに移民したのは1908年4月28日で、移住船『笠戸丸』に791名の日本人が乗船して、新天地のブラジルを目指した。
移民の多くがコーヒー農園で働く契約移民であった。奴隷制を廃止したブラジルは当時、代わりの労働力を求めていたため、3年の契約労働から歩合農民へと進展した。現在、ブラジルに在住する日系人は約150万人にもなるともいわれる。
移民国家の多様性が育んだグローバルで解放的な気質が、移民を受け入れる国家となった。他のBRICs諸国と異なる点である。
ポルトガル人は、北大西洋のアソーレス諸島からサトーキビをブラジルに持ち込んで植えた。それが、今や、ブラジルはさとうきびから生産する砂糖の世界一の輸出国となったのである。さらに最近では、さとうきびからバイオエタノールも製造している。
これは、1975年にさとうきびからつくるアルコール(バイオエタノール)の生産と利用を推進する『プロ・アルコール計画』から始まったことである。ブラジルの国家戦略として開始したのである。そして1981年からガソリンに20%以上のアルコールを混合する方式が採用され、1980年代後半には新車の90%がアルコール車となるほど進展した。
さらにもうひとつブラジルを代表するものにコーヒーがある。このコーヒーは元々、オランダ領ギアナ経由でブラジルに入ったといわれ、今や世界一のコーヒー生産国となっている。
また、胡椒は、日本人移民がブラジルに向かう途中のシンガポールに船が寄港した時に仕入れた種を持ち込み、アマゾン流域で試行錯誤の末についに栽培に成功し、その後、ブラジル経済を支える代表的な農産物となったものである。
天然ゴムはもともと、ブラジルのアマゾン原産であったが、このゴムの木をイギリス人がアマゾンから苗を盗んでマレーシアで植え、マレーシアでゴムの木の生産国として発展した。
さて、ブラジルの経済に目を転じると1970年代のブラジル経済はGDPが年率平均8.8%となり、『ブラジルの奇跡』ともいわれた。
しかし、石油危機によって債務危機が発生し、1970年代後半に経済が破綻し、1980年代のブラジル経済は年率2,000%を超えるハイパーインフレに見舞われるなど『失われた10年』となった。この厳しい時期、日本からの投資も停滞し、多くの企業がブラジルから撤退した。
ブラジルのインフレが激しかったために、買い物は、まとめ買いを実施するのが一般化している。午前の価格と午後の価格が変わるほどのインフレであったためにまとめ買いがはやったのである。またレストランで食事をすると、食事前と食後では料金が変わるため、食前に料金を支払う方法が取られるようになったともいわれる。
超インフレのブラジルでは、皮肉なことにそれに対応する金融システムが必要となり、金融システムのソフトではブラジルは先進的な技術を保有するといわれる。
1993年は2,477.2%のインフレ率であったが、貿易自由化、規制緩和、民営化を軸にした改革が進められ、1993年末に発表された『レアルプラン』が着実に成果をあげることでインフレが抑制され、1994年には、916.46%へ、そして1995年には、22.41%。1996年には、9.56%へ、そして1997年には、5.22%。現在は5.9%(2010年)になっている。
ブラジルは1997年のアジア通貨危機、1998年のロシア通貨危機、2001年のエネルギー危機とアルゼンチン危機などの影響を乗り切った。
GDPの成長率も2004年には5%台に乗り、ブラジルはBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)の一員にあげられるまでに経済発展を遂げるようになった。
今や、ブラジルは、世界経済を支える『地下資源』と「食糧大国」として名を馳せている。
国技がサッカーであるブラジルでは、2014年にはサッカー・ワールドカップ(W杯)が、そして2016年にはリオデジャネイロ五輪が開催されることになっている。この二つの大きなイベントに向けてブラジルの国内はインフラを含めて着実に準備が進められている。
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