ブックタイトルメカトロニクス5月号2021年
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メカトロニクス5月号2021年
44 MECHATRONICS 2021.5 鋳物の歴史は紀元前4000 年のメソポタミアで銅を型に溶かす方法で始まった。歴史的にいうと石器時代の次の青銅器時代は青銅鋳物の時代であり、これが鋳物の始まりである。 そして日本には、紀元前400年に青銅器や鉄器などの鋳造技術は中国から韓国へ、そして我が国に伝わってきたらしい。 奈良の大仏は重さ250トン、高さ15メートルもある巨大な大仏で、鋳物で出来ており、745年に制作を開始、約7 年の年月を要し、752 年に完成し、開眼供養が行われている。こんな巨大な大仏が1269 年前に鋳物で造られているのである。 日本の鋳物産業で有名なのは、映画でも話題となった埼玉県の川口市である。工場街としての川口市の歴史は古く、永らく東京都墨田区・大田区と並ぶ東日本の代表的な工業集積地であった。そして川口の中核産業は鋳物産業であった。1943年当時、全国の鋳物工場数540工場のうち、実に129の工場が川口市にあり、全国で首位の位置付けであった。このような鋳物で有名であったため、後に映画の舞台として紹介もされ、全国に知られることになる。 その映画は吉永小百合主演の「キューポラのある街」でも知られる。鋳物の街で鉄の溶解炉のキューポラが多く見られた埼玉県川口市を舞台とした青春ドラマであり、主人公ジュン(吉永小百合)の周りで起こる貧困、進学、親子問題、組合、差別、民族、友情、性など多くのエピソードを描いている。撮影は1961年に開始され、1962年に社会派青春映画の名作となって日活から封切られた(写真1)。多くの若者が、この映画を鑑賞した。 工場街でたくましく生きる少女を描いたモノクロ映画で、鍋・釡を作る街として川口の地名を有名にしたのは言うまでもない。そして主演の吉永小百合は当時14歳で、ブルー・リボン主演女優賞の受賞に輝いている。 そして1964年の東京オリンピックでは、国立競技場の聖火台を川口の鋳物師が製造し、鋳物の川口の名を全国へ知らしめたことでも知られる。 川口市に鋳物産業が発展したのは、荒川、芝川に良質な砂と粘土に恵まれたためで、1080年も遡る川口の鋳物の歴史がある。鋳物に関しての略史を示すと表1 のようになる。 川口鋳物の源には諸説が挙げられているが、川口鋳物工業協同組合の「川口鋳物その歩みと未来」と「地域経済と地場産業」によると5つの説がある。1~2)①平安説は天慶三年(940 年)に伝わってきたとす る説②宋人説で建久年間(1190年代)に来朝した宋人 によって伝えられたとする説③丹南説、暦王年間(1340 年頃)河内国(大阪府) 丹南郡の鋳物師が、川口に移住して、鋳物を伝え たとする説④渋江説は、戦国時代に伝わったとする説⑤天明説は、川口町が天明年間(1781~1784 年)に開かれたとする説 これらの説は十分に確証できる資料がないため、どれが正しいかはいまだにわかっていない。いずれにしても中世末期までには何らかの形で鋳物の製造がなされていたといわれている。 川口の鋳物産業の起源は江戸時代(1603~第10回 鋳物産業の市場動向市場の生産統計とそのヒストリーちょっと気になる連 載写真1 キューポラのある街(日活) 表1 鋳物の歴史年 度内 容紀元前4000年メソポタミアで銅を型に溶かす方法で鋳物が始まった紀元前400 年日本に鋳物づくりの技が伝わって来て、その後、独自に発展752 年奈良の大仏(鋳物)の開眼供養940 年頃平将門の乱の鎮圧に来た豪族の従者が鋳物師だったという説1190 年頃南宋人の鋳物師が埼玉県の川口に来たという説1340 年頃河内国丹南の鋳物師が川口に移住してきた説1500 年頃岩槻城主の御用鋳物師・渋江氏が関わっているという説1641 年頃鋳物師の永瀬治兵衛守久が錫杖寺の梵鐘(埼玉県指定文化財)を造る1764 年頃川口には民家が314 戸、鋳物を業とする者が14 人おり、鍋、釡、風呂釡、鉄瓶、銚子、火炉などを生産1891 年和歌山市に鋳物工場を創立1893 年綿ネル工場の機械類を鋳造したのが、和歌山における機械鋳造のはじまり1905 年川口鋳物業組合を創立1914 年川口鋳物業組合の組織を改編し、「川口鋳物同業組合」と変更1928 年関東と関西にそれぞれ「鋳物懇話会」がつくられた1932 年鋳物に関する学問技術を研究し、その改良発展に寄与することを目的とした全国組織の「日本鋳物協会」(現在の日本鋳造工学会)が誕生1933 年川口市制施行1934 年「日本鋳物協会」は国唯一の鋳造に関する学術団体として文部省の認可を得る1935 年染色整理機械、メリヤス機械の部品製造を主とする和歌山の鋳物業が確立される1938 年早稲田大学付属の研究機関として鋳物研究所を開設1942 年川口市は単独市で鋳物生産量の日本一を達成1947 年「和歌山県鋳物工業協同組合」を設立川口市は工場数が703となり、鋳物生産額が全国の約3分の1占め、「鋳物の街」として知られていた1949 年中小企業等協同組合法が施行されたのに伴い、「川口鋳物工業協同組合」となる1958 年東京で開催の第3 回 アジア競技大会に使われた国立競技場の聖火台は川口鋳物の代表作といわれ、鈴木万之助・文吾親子(完成品は文吾の作)が製造。1964 年の東京オリンピックでも使われ、全国に川口鋳物の技術力を広く知らしめた1962 年吉永小百合主演のデビュー作映画「キューポラのある街」は川口を指す1973 年川口鋳物生産量が40.7 万トンとピークに1975 年受注激減に伴い鋳物組合主催の「不況突破総決起大会」を開催1995 年「日本鋳物協会」を「日本鋳造工学会」と改める2005 年鋳物組合創立100 周年・川口鋳物の日(8月11日)を制定し、記念式典を開催(社)日本鋳造協会 (JFS=Japan Foundry Society, Inc)を設立2010 年組合創立105 周年、冊子「川口鋳物の歴史」の発行2017 年「鋳造産業ビジョン2017」を日本鋳造協会から公開2019 年高さ2.1メートル、重さ4トンのオリンピック聖火台が61 年振りの生まれ故郷への里帰り