ブックタイトルメカトロニクス7月号2019年

ページ
45/52

このページは メカトロニクス7月号2019年 の電子ブックに掲載されている45ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

メカトロニクス7月号2019年

MECHATRONICS 2019.7 45表1 話題商品の製品化時期の変遷年度電子機器の誕生と出来事(日本で発売された機種を掲載)1970 年電子ジャー(RH 型/ 象印マホービン)発売1972 年電卓(カシオミニ/カシオ計算機)発売1973 年携帯型ステレオテープレコーダ(カセットデンスケ TC-2850SD/ ソニー)発売1975 年BCL 用短波ラジオ(Skysensor ICF-5900/ ソニー)発売BCL 用短波ラジオ(RF-1150 クーガ115/ 松下電器産業)発売BCL 用デジタル短波ラジオ(CRF-320/ ソニー)発売1977 年ふとん乾燥機(ほすべえAD-600/ 三菱電機)発売1979 年ヘッドホンステレオ(Walkman TPS-L2/ソニー)発売パソコン(PC-8001/NEC)発売600-P 形電話機をベースとしたコードレス電話(日本電信電話公社)のレンタル開始1980 年携帯型液晶ゲーム機(ゲーム&ウォッチ/ 任天堂)発売太陽電池式電卓(アモルトンCX-1/ 三洋電機)発売温水洗浄便座(ウォシュレット/TOTO)発売1981 年ヘッドホンステレオ(Walkman Ⅱ WM-2/ ソニー)発売パソコン(PC-8801/NEC)発売レーザーディスクプレーヤー(LD-1000/ パイオニア)発売1982 年CD プレーヤー(CDP-101/ ソニー)発売パソコン(PC-9801/NEC)発売日本初のハンディタイプ携帯電話機(TZ-802/ 日本電信電話公社)商品化1983 年家庭用ゲーム機「Family Computer(ファミコン HVC-001)/ 任天堂」発売1985 年8mm 方式据置ビデオ1 号機(ソニー/EV-S700)発売1989 年ノートパソコン(Dynabook SS001/ 東芝)発売カメラ一体型VTR(CCD-TR55/ ソニー)発売携帯電話(MicroTac/ モトローラ)発売1991 年世界初のフルデジタル補聴器(HD-10/ リオネット)発売1992 年MD プレーヤー(MZ-1/ ソニー)発売1993 年家庭用ゲーム機AV 仕様「Family Computer(ファミコン HVC-101)/ 任天堂」発売1994 年ゲーム機(Play Station/ ソニー)発売1995 年初のモニター搭載した25 万画素デジタルカメラ(QV-10/ カシオ)発売1996 年DVD プレーヤー(SD-3000/ 東芝)発売1999 年家庭用ロボット(AIBO/ ソニー)発売世界初のカメラ付き携帯電話(VP-210/ 京セラ)発売2001 年シリコンオーディオ(iPod/Apple)発売2002 年掃除用ロボット(ルンバ/iRobot)発売2008 年携帯電話(スマートフォン)(iPhone /Apple)発売2009 年羽根のない扇風機(AIR MULTIPLIER/Dyson)発売2010 年タブレット端末(iPad/Apple)発売2011 年4K 液晶テレビ(フルハイビジョンの4 倍の解像度)発売2012 年スマートウオッチ(SmartWatch MN2/Sony)発売。 翌年ウェアラブル機器元年となる201 7年AI スピーカー(G3, P3/ オンキョー)発売通訳機(POCKETALK/ ソースネクスト)発売●日本で話題商品となった製品の一例日本の産業構造の変化にともなう電子機器分野の話題商品を追う第13回 <話題商品を支える電子回路基板(その1)> 写真1はElectronics(1991 年)のJapan 特集で表紙を飾ったもので、これは日本から集中豪雨的に電子機器が世界の市場に入り込んでいるのを表現したものである。 ブルドーザーで米国から欧州に向かって市場になだれ込んでいるようなイメージでとらえている図である。今やそれは夢まぼろしとなった。 1991 年にバブル崩壊、2001 年の米国ICT景気の後退、2008 年のリーマンショックなどの経済環境の変化に伴って国内の市場規模が一時的に縮小すると同時に為替レートの変化もあって、円高は市場のある所で生産する“Made in Maket”を、さらに進展させた。1) さらに追い打ちをかけるようになったのは、日本の経済情勢は、「失われた10 年とか20 年」と言われ、企業はひたすらスリム化するために事業を縮小したり、撤退したりして、リストラが各社で行われ、次第に競争力を失う方向へと進んだ。 話題商品の開発に果敢に挑む姿勢から防御する姿勢へと変わっていった。そのため、2000 年代以降になると日本発信の話題商品が少なくなり、逆にタブレット端末などのICT機器関係では米国主導型で動き、扇風機や掃除機などの家電製品も羽根のない形や自走式のロボットのように形を変えて、欧米から日本市場に入ってきた。日本主導で動いていた家電市場に逆に欧米から市場に参入してきたことである。 そして電子機器の組み立ては自社ではなく、電子機器製造受託サービス(EMS=ElectronicManufacturing Services)で生産させる方式で、委託先で大量に製造する方法となった。1社で全てを生産する垂直統合の生産方式が分裂して崩れていった。この生産方式は、水平分業とも言われるが、垂直分裂したもので、この方式は早くから米国で進展し、生産方式を変えることで、コストダウンを図り、それを武器にして日本市場に入ってきた。2) 以上のような流れの中で、今や日本国内で生産する電子機器の市場規模は4.3兆円レベルまで縮小して国内生産は衰退していった。つまり、この市場規模は1970 年代頃の市場規模程度になり、今や国内には約50年前の市場規模まで縮小したことになる。この背景には、生産拠点が国内(Made inJapan)から海外(Made in Market or Made inASEAN/China)へ移行していったためと、世界に売れる話題商品が2000 年代以降、日本から出現しなくなったことが影響している。 さらに世界規模で成長した携帯電話の市場に関して、日本国内の僅か4,000 万台の市場のみを対象にして世界にうって出なかったことでもグローバル市場を失ったことにある。 電子機器の国内市場が減少したことは、残念なことに少なからず電子回路基板業界に影響を及ぼした。これについては次回で解説する。<参考資料>1.青木正光、“日本の電子回路基板産業の現状と将来展望”  エレクトロニクス実装学会誌  Vol.21 No.3 pp207~pp215(2018)2.西村吉雄、“ 電子立国はなぜ凋落したか”  pp159~pp180 日経BP 社(2014)写真1 Electronics 1991