ブックタイトルメカトロニクス4月号2019年

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概要

メカトロニクス4月号2019年

MECHATRONICS 2019.4 45表1 秋原原の歩み年度内容1890年日本鉄道の鉄道線が上野から秋葉原まで延長され、秋葉原貨物取扱所として貨物駅が開業1923 年山際電気商会(後のヤマギワ)、富久商会(後の富久無線電機)が、それぞれ秋葉原で創業1925 年廣瀬商会(後の廣瀬無線電機)が秋葉原で創業1930 年志村商会(後の志村無線)を浅草で創業1932 年秋葉原に旅客駅が開業1935 年神田青果市場を開業1939 年谷口商店(後のラオックス)を墨田区で創業1940 年廣瀬商会から社名を廣瀬無線電機に変更白山無線電機(後のクラリオン)を設立し、電池式家庭用ラジオの製造を開始1945 年東京大空襲で秋葉原は焼け野原となるヤミ市が全国各所に生じ、秋葉原でも真空管やラジオ部品など電子部品を扱う露天商ができる石丸電気商会が外神田で創業ミナミ無線電機製作所が大宮市で創業1948 年ミナミ無線電機と改組して秋葉原に進出谷口商店から谷口電機株式会社に商号を変更し、家電小売部門を分割して朝日無線電機を設立1949 年GHQ(連合国軍総司令部)が露店撤廃令を出す高架下に「秋葉原ラジオストアー」を開業1950 年秋葉原ラジオストアーの隣の高架下に「ラジオガァデン」を開業露天商38 名が自己資金で「東京ラジオデパート」を開業1951 年アキハバラデパートを開業総武線高架下に「秋葉原ラジオセンター」を開業小野電業社 ( 後のオノデン) が秋葉原で創業年度内容1953 年秋葉原ラジオ会館を開業1960 年この頃からマニアだけではなく一般客も秋葉原を訪れるようになる1962 年「秋葉原ラジオ会館電化ビル」を開業1970 年白山無線電機から社名をクラリオンに改称1972 年「秋葉原ラジオ会館」を建て替える1975 年秋葉原の貨物駅を廃止小野電業社から社名をオノデンに改称1976 年秋葉原ラジオ会館の7階にNECの「ビットイン」を開設(「パーソナルコンピュータ発祥の地」と言われた)朝日無線電機の店舗の営業権を譲り受け、ラオックスを設立1980 年秋葉原電気まつりが始まる1989 年神田青果市場が大田区へ移転したことにより、跡地は駐車場、駅前広場となる1990 年ラオックス「ザ・コンピュータ館」が開店2005 年つくばエクスプレス開業「ヨドバシカメラマルチメディア Akiba」が開店2006 年神田青果市場跡地に秋葉原UDX ビルが開業ビル建て替えのためアキハバラデパートが閉店2007 年ラオックス「ザ・コンピュータ館」が閉店2009 年ラオックスが中国の蘇寧雲商の傘下となる2010 年ソフマップがビックカメラの子会社に、ヤマギワ・リビナ本館閉店、T-Zone 廃業告知2014 年秋葉原ラジオ会館を10 階建ての新館に建て替える2015 年ラオックスは家電量販店から総合免税店として業態を変える(日本国内最大規模の免税店となる)日本の産業構造の変化にともなう電子機器分野の話題商品を追う第10回 <話題商品を購入する場所は?> マイコンとは今でいうパソコンのことである。7階フロアには長らく「パーソナルコンピュータ発祥の地」というプレートが飾ってあったという。 1976 年から1977 年にかけて日本ではマイコンブームが到来した。1976 年、NEC のマイコン“TK-80”が大ヒットし、当時としては異例の6万台が売れた。 1976年には、西和彦氏らが日本初のマイコン専門誌「I/O(アイオー)」を創刊しており、さらに同氏らが「月刊アスキー」を出したのは翌1977年のことである。パソコン時代の幕開けである。この頃は、発売日の前日から列をなしてパソコンやソフトを購入する光景が、テレビなどで報道されることもあった。 2014 年には、ラジオ会館の建替が完了し、同年7月20日に10 階建ての新ラジオ会館(写真3)がオープンした。4.「秋葉原」の強敵現れる しかし、このような動きに対して新たな動きとして都市郊外に出店した「郊外型量販店」の出現である(写真4)。オープン当時は、周囲は畑で囲まれた場所で、本当に郊外であった。このような場所にできたため、わざわざ秋葉原まで足を運ばなくても近場で購入できるようになり、購入場所が変わっていった。さらにカメラを販売することから始まったカメラ量販店の躍進である。秋葉原の強敵が現れたのである。 当初、「秋葉原」は戦後の復興時期はラジオを中心として発展し、そして家電製品の販売で地位を確立した。1970年代の後半ごろから「秋葉原」はコンピュータを中心とした“電脳街”として発展していき、IT の中心的な役割を担うようになった。“ラジオ少年”が“パソコン少年”へと変わり、時代の変遷とともに「秋葉原」も変化していった。 また、ゲーム機の台頭により、秋葉原でもホビーを中心とした製品へと変化し、進化していった。ヨドバシカメラは、秋葉原に9 階建ての大型店舗「ヨドバシカメラ マルチメディアAkiba」を2005 年9 月16日にオープンした(写真5)。 家電量販店では国内最大級で、レストランやおもちゃ売り場などもあり、家族連れでも楽しめるのが特徴で秋葉原を大きく変貌したと言えよう。 さらに常磐新線「つくばエクスプレス」も2005年8 月24日に開業したこともあって、秋葉原が一段とにぎわう遊びとショッピングの街に変貌し、さらなる発展が見込まれている場所でもある。 大型店舗開店前には、徹夜組みを含め約5,000人の行列ができ、予定より30分早い午前9時にオープンすると、目当ての商品目がけて売り場に走り込む姿が見られたという。 また、秋葉原電気街の商店街では、1980年以来、「秋葉原電気街まつり」を実施している。毎回、アイドルグループやアニメ作品などとコラボして、若者が集まるように各店が協力して実施している。 この祭りを盛り上げるのが、秋葉原電気街のキャラクターのクマの「アキベア」であり、Twiterを使いこなす広報担当の「アキバートン」、さらに秋葉原の裏事情に詳しい姉御の「ギンにゃん」などが裏方で支えている。秋葉原はラジオから始まってオーディオ、そして家電へ、さらにパソコンからアニメ・ゲーム、メイドと移り変わっていき、500 軒がひしめき合う世界有数の電気街でオタク文化の発信地として、世界から熱い視線を集める町へと変身し、多くの外国人観光客が訪れる場所ともなった。5. 関西版「秋葉原」 一方、関西の「日本橋」には、1940 年ごろから岡本無線や中川(現、中川無線電機)などの数軒のラジオ部品の現金問屋が存在した。この日本橋も戦争で焼け野原と化し、秋葉原と同様、露天商でビジネスが始まった。初期は、やはりラジオの部品の商売から始まった。 その後、「日本橋」もパソコン・OA機器の街として変化したもののバブル崩壊後、店を閉める会社もあり、紆余曲折があり、地盤沈下をし、アニメやソフトを販売する会社へと変化していった。 さらに、変貌に必要に迫られ、「日本橋」に2004年12 月にロボット専門店のロボットファクトリーがオープンしたのである。専門知識をもったマニアが集まる「日本橋」として変貌をしつつある。まさに「マニアの街」として生き返りを図っている。 以上、日本の電気街の誕生の背景をみてみると時代とともに変身していることが分かる。2)<参考資料>1.遠藤諭、“アキバ??秋葉原電気街のはじまりについて”  角川アスキー総合研究所 https://weekly.ascii.jp/elem/000/000/418/  418376/2.武井 豊、“ちょっと途中下車 電気街の成り立ち”  エレクトロニクス実装技術 Vol.21 No.12 p43(2005)