ブックタイトルメカトロニクス12月号2018年
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メカトロニクス12月号2018年
MECHATRONICS 2018.12 45真空管方式の第一世代コンピュータIBM650(コンピュータ界のT型フォードとも呼称される)に代わってトランジスタ、ダイオード使用のビジネス用第二世代大型コンピュータIBM1401のハードウエア・ソフトウエアを開発し、世界の巨人IBMへの道を踏み出したことであった。そしてICの発明に伴いコンピュータに応用展開され第三世代のコンピュータ時代へと進展した(表1)。1964年にICを使った第三世代大型コンピュータIBM360の登場によって大きな衝撃を受けた通産省の「電子工業審議会」は1959年に最優先の目標をIBMに置くことを決定した。 そしてIBMの日本への進出を阻止するために通産省はコンピュータ関税を引き上げて高い関税障壁を築いて、日本企業を保護する政策に出た。 1957年の電子工業振興臨時措置法によって重工業局が電子工業課を設け、その電子工業課長補佐に就任したのが平松守彦(後の大分県知事で一村一品運動の地域振興運動でも知られる)であった。平松は1959年5月、日本にコンピュータ業界が無かった中で「コンピュータ業界」を対象としたメーカーに対して補助金と税金など優遇を付けることで、コンピュータ業界の立ち上げに関わったのみならず、国内ユーザー相手にIBMよりも安くレンタルし、償却されたコンピュータも全て引き取るために日本電子計算機株式会社の設立にも関与し、コンピュータ業界の黎明期に大きく貢献した人であった。 IBMは、この関税障壁を突破するために、外資法に規制されない100%日本の子会社を設立し、通産省に日本でのコンピュータの生産許可を申請した。そして日本IBMは、1959年9月に東京都大田区に千鳥町工場(現在、「島忠」となっている)を完成させ、コンピュータの国内生産を開始する。ここから“IBM”対“通産省+日本企業”の長い戦いが始まった。3)日本の電子産業を押し上げるために、支援ができるように法整備をしたことであった。1956年以来、通産省が登場させたのが業種ごとの「産業立法」であった。 一方では「審議会」の提案として省内を通した上で、「繊維工業設備臨時措置法」、「機械工業振興臨時措置法」、「電子産業振興臨時措置法」などを次々に国会で成立させて企業の共同行為を行政指導する手続きを合法化したのである。電子産業に関係するものは、1957年に成立した「電子産業振興臨時措置法」であり、通商産業省に「電子工業審議会」を置き、そして国からの補助金によって電子工業の発展を促進させるものであった。 これらが「特定産業振興プロジエクト」であって、特定産業の生産数量・コストの目標を設定し、振興対象企業には補助金や別枠政策金融によって投資資金を確保し、企業カルテル結成を承認する強力なプロジェクトであった。日本の電子産業を押し上げるために政府は、様々な施策を実施して発展に寄与することになった。その施策をまとめてみると表2に示すように1950年代から始まった。 1970 年代になると国産のメインフレームコンピュータメーカーを育成するために3グループに分け、かつ競争力をつけるために表2に示すように様々な補助金をつけて支援した。これはコンピュータ分野で進んでいるアメリカに対抗するための措置として実施され、ある程度、力がついた時点でコンピュータ技術の技術導入を自由化した。そしてメインフレームコンピュータで確立された様々な実装技術は、その後、産業機器のみならず民生機器にも応用展開されて発展していった。 1970年代に2度のオイルショックを経験した日本では、“重厚長大産業”から“軽薄短小産業”へと舵を切り直し、電子機器に関しては軽薄短小化製品に特化していった背景があり、それらにメインフレームコンピュータで確立された多くの実装技術が応用展開されていき、多くの話題商品が登場することになった。例えば、ヘッドホンステレオ(1979年/ソニー)、CDプレーヤー(1982年/ソニー)、家庭用ゲーム機(1983年/任天堂)、8mm方式据置ビデオ(1985年/ソニー)、ノートパソコン(1989年/東芝)、カメラ一体型VTR(1989年/ソニー)、家庭用ゲーム機(1994年/ソニー)、デジタルカメラ(1995 年/カシオ)、DVDプレーヤー(1996 年/東芝)、家庭用ロボット(1999年/ソニー)等の多くの話題商品が20年の間に日本で誕生し、中には世界で売れた。そして登場した“軽薄短小化機器”が必要とする新たな実装技術も開発され、話題商品に次から次へと応用展開され、日本の躍進となった。このように日本電子産業が発展した背景には、国が支援した施策が大きく影響したと言えよう。<参考資料>1.アイオワ州立大学 http://jva.cs.iastate.edu/history.php2.https://www.youtube.com/watch?v=k4oGI_dNaPc https://www.youtube.com/watch?v=bGk9W65vXNA https://www.youtube.com/watch?v=qundvme1Tik https://www.seas.upenn.edu/about/historyheritage/eniac/3.津田異激、“ 太平洋戦争後日本の政府の産業政策の再開” 経営経済学研究(青森公立大学)Vol.3 No.1 p34 (1997)4. http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/ html/houritsu/02619570611171.htm日本の産業構造の変化にともなう電子機器分野の話題商品を追う第6回 <電子産業を浮揚させた施策>年 度 施策内容1957 年電子工業を振興することにより、産業の設備及び技術の近代化その他国民経済の健全な発展に寄与することを目的に「電子工業振興臨時措置法」(電振法)を制定。4) 通商産業省に「電子工業審議会」を置き、そして国からの補助金によって電子工業の発展を促進1958 年電振法の趣旨に沿い、先端技術の調査研究、生産の合理化などの利用の普及を目的に「日本電子工業振興協会」を設立1961年横断的な政策設定局でもある「産業構造調査会」を設置(1964 年に「産業構造審議会」となる)国内コンピュータメーカーが共同出資して「日本電子計算機」を設立1961年~1964年通産省は米国からのコンピュータの技術導入を援助日立(RCA/1961 年)、三菱(TRW/1962 年)、日本電気(Honeywell/1962 年)、沖電気(SperryRand/1963年)、東芝(General Electric/1964年)1962 年2年4ヵ月で、コンピュータのメインフレームの開発を企てる共同研究のためにFONTAC(富士通、沖電気、NECの3社の「電子計算機技術研究組合」で、 Fujitsu Oki Nippondenki Triple Allied Computerの頭文字から由来)を設立し、IBM以外の日本電機企業の集合であった。FONTACには3.5億円の補助金が支給されて、設計は富士通/沖電気/NEC、周辺機器は沖電気/NEC、中央演算装置は富士通が担当した。1963年2月に「特定産業振興臨時措置法案」を公表し、11月に通産省の産業構造審議会は法案どおりに産業寡占化政策と官民協調方式の採用を答申1966年電子工業審議会に諮問して「電子計算機工業の国際競争力強化のための施策」の答申IBM360 対抗の大型コンピュータの共同生産政策に対して1966 年から研究開発補助金、開発銀行融資、特別償却、固定資産税軽減などが爆発増大されただけでなく、通産省は「超高性能電子計算機開発」プロジエクトの7 年計画を発足させ、100 億円を投じる1971年「特定電子工業および特定機械工業振興臨時措置法(機電法)を公布(電子工業振興臨時措置法を廃止)→コンピュータメーカーを3グループに分ける(日立- 富士通、NEC- 東芝、沖電気-三菱電機)「パターン情報処理システム開発」の10 年計画を発足させ、220 億円を投じる1972 年情報処理振興事業協合等に関する法律(情振法)を公布「電子計算機等開発促進補助金」制度を設け570 億円を投じる1974年各グループより M、ACOS、COSMOシリーズのコンピュータを発表コンピュータの技術導入の自由化1975年コンピュータ資本、製造・販売・賃借業、コンピュータ本体の輸入の自由化1976年「超LSI 開発」に補助金300億円投じる情報処理、ソフトウエア関連業の資本自由化「次世代電子計算機用大規模集積回路開発促進補助金」制度を創設し、300 億円を投じる1978 年特定機械情報産業振興臨時措置法を公布1981 年科学技術用高速計算システムプロジェクトに175億円を投じる1982 年第五世代コンピュータの開発に570億円を投じる1985 年「情報処理の促進に関する法律」(情促法)を公布ソフトウエア生産工業化システム(Σ計画)に220 億円投じる表2 電子産業を浮揚させるために1950~1980年代に実施された日本の施策