ビジネスコミュニケーションを加速する
BtoB ニュース専門サイト | ビジコムポスト

トピックス
2015.07.09
世界商品となった『醤油』
ちょっと途中下車 213駅目

 

  食べ物の味である『甘味』『酸味』『辛味』『苦味』の四味は、欧米人が分かる味の感覚である。そして中国人にはこれに『塩味』を加えた五味が分かり、日本人はさらに『渋味』と『うま味』を加わえた七味を感ずるという。

 日本は発酵文化で、日本ほど発酵食品を使う国はないともいわれる。発酵食品といえば、あのねばねばした納豆がまず思い出されるが、日本の発酵文化が生んだ究極の調味料が『醤油』である。

和歌山県湯浅の町。ここは『醤油づくり発祥の地』ともいわれる場所である。

鎌倉時代中期、中国から持ち帰った径山寺味噌の製法から味噌づくりが始まったが、作っていた味噌の桶に溜まった汁や染み出した汁が美味しいことから、この汁を醤油として作り出したのが最初とされている。溜まり醤油の始まりである。

 この隣の由良町には、味噌・醤油発祥の寺『興国寺』があり、さらに南へ下った田辺市は『鰹節発祥の地』でもある。まさに和歌山県(紀州)は、和食の必要とする基本の素材を生んだ聖地といえそうだ。

 料理の基本は、『塩梅(あんばい)』、『だし』、『火加減』といわれている。醤油は、そのすべてに関係している。

 醤油の種類には
 1. 濃口醤油
 2. 淡口醤油
 3. 溜まり醤油
 4. 白醤油
がある。

 紀州で生まれた醤油だが、その後、紀州出身の濱口儀兵衛が銚子にわたり、1645年(正保2年)にヤマサ醤油を創業した。利根川の水利を活かして銚子周辺で醤油づくりが発展していったのである。1662年になると茂木佐平治が味噌製造を開始し、その後、醤油製造も手がけることになる。これが野田で醤油製造となる。これがキッコーマンのルーツでもある。

 日本で生まれた醤油を海外で広く知ってもらうために、日本の醤油メーカーが米国での販売活動を1950年代に始めた。キッコーマンは1957年に米国にKikkoman International Incという販売会社を設立し、本格的な市場開拓を開始した。その当時、米国人の多くは醤油に馴染みがない状態であったという。

 醤油の良さを伝えるためにスーパーマーケットでのデモンストレーションを展開し、当初は、フライパンで肉を焼き、その肉に醤油をかけるという簡単なものであった。プロモーションには、女性がはっぴのようなものを着て、スーパーマーケットで実演した。そして『ソイ・ソースは肉に合う』というキャッチフレーズで販売を開始した。このプロモーションには、当時、米国留学していた茂木友三郎 現・代表取締役名誉会長も手伝っていたという。

 醤油の焦げた香ばしい匂いは、人をひきつける魅力となった。その後、『Delicious on Meat』というキャッチフレーズで、バーベキューに醤油を用いるのがはやり、肉と醤油の組み合わせは『Teriyaki』と呼ばれ、大人気となる。醤油に少し甘味を足したテリヤキソースは大ヒット商品となった。1960年代には、多くのレストランが採り入れ、家庭でも定番料理となった。1970年には、『Webster’s New World Dictionary』に『Teriyaki』が英語として収録されるまでになった。さらに、米国の航空会社の食事のメニューの中にTeriyaki Chickenが加えられるまでになったのだった。

米国での拡販の成功に伴って、1970年代になるとキッコーマンはウィスコンシン州で製造工場を建設するまでになった。大豆たんぱくを酵素で分解する昔ながら製法で製造している。米国の醤油の大半は大豆たんぱくを塩酸で分解する化学醤油であり、味の違いがあるという。

 キッコーマンは1950年代に米国に進出しているが、実は1900年のパリ万縛の際にも出展をしているなど、早くから海外に目を向けていた。日本国内で使用されている醤油を、いずれは海外に展開していたい、という強い思いでグローバルな展開をしたのであろうか。

 そしてその思いを通じて、醤油の味として海外で知られるようになり、隠し味としても利用されるようになった。

 海外での日本食ブームの広まりを背景に、横浜港の2011年の1年間の醤油の輸出量が過去最高を記録した。横浜港からの輸出量は5,194kリットル、輸出金額は10.9億円となり、全国一位の醤油の輸出港となった。

 世界的な日本食ブームにより、世界各国への醤油が輸出されるとともに市場のあるところで生産する海外生産工場も増加していった。2007年の海外での生産量は約20万Kリットル(2007年)に達している。日本からの海外輸出量は1.7万Kリットル(2011年)で海外生産量の10分1となっている。

 なお、醤油の輸出に関しては鎖国時代の江戸時代に唯一の例外として長崎でオランダや中国との貿易での醤油の取り扱いは許可されており、オランダ船や中国船によってオランダ本国や中国本土、東南アジアまで運ばれ、輸出されていたという。

 今や醤油は45カ国に輸出されている。2011年のトップ10を示すと、1位がアメリカ合衆国、続いて香港、大韓民国、英国、オーストラリア、中華人民共和国、オランダ、フランス、ドイツ、シンガポールの順となっている。海外での生産拠点はアメリカ合衆国、中国、台湾、タイ、シンガポール、オランダなどと広がっている。

 醤油を販売するのには当初、醤油びんが使われた。大きいものでは1升びんで販売され、その醤油びんから小分けされて食卓に並んだ。日本の家庭では、醤油はなくてはならない調味料となっている。醤油味に慣れた日本人は、海外に行って初めて、醤油味を恋しくなるのを体験することになる。ホテルによっては醤油が置いている場合があるものの日本のような醤油味と異なり、どうしても濃い醤油味となる。日本の醤油味に慣れていると、海外に行く場合にも袋や小さなプラスチックの小瓶に入った醤油を数個、持参して訪問することになってしまう。海外のレストランであまり美味しくない食事にあたった場合に醤油を使うとその食事の味が引き立つことがある。まさにこれが隠し味として利用されるのだと思う。さらに日本の醤油が海外のホテルやレストランなどで見かけるといつも思い出すのが、1900年のパリ万博に醤油を展示したことである。このような将来を見越しての熱い思いが実ったのだ……と。

 

会社名
Gichoビジネスコミュニケーションズ株式会社
所在地